🧠アートde対話

一生を通じて完成させる対話の自由研究。

私の「対話」に対する想い

私の目的は「アート」じゃなくて「対話」

私が対話型アート鑑賞の活動をする目的はアート鑑賞ではなく「対話」です。

ですから「対話の材料」は何でもいいのです。

自分の身の回りのどんなことでも…外出中に遭遇するあれこれや、今観ているTV…何でももキッカケにさにさえなればよい。

因みにご存知の方もいらっしゃると思いますが、私のTwitterアカウントはbyに続けて書いてある通り、もとは🧠Brainmemox(キッカケ&ヒント)というアカウントです。その名前にもあるように「キッカケ&ヒント」が私の在りたい形です。

twitter.com

対話姿勢には長年の自負があります

子どもの頃から対話好きで、いろんな人(不審者、犯罪者含む…ここら辺の話はまた別でします)…とにかく「話せばわかる」をモットーの1つとして生きてきたところがあり、対話姿勢には自負があります。

…なんて、敢えて書いていますけど、誰でもそうだと思いますが、自分にとっては当たり前のことなんてわざわざかしこまって話そうと思いませんよね?私だってこんな「対話姿勢」が云々…なんて、対話型鑑賞のコーチ活動をしなければ、こんな風に語らなかったですよ?

ただ、ずっと生きてきている中で「なんで周囲は(対話を)せんのだろう?、向き合わんのだろう?」という疑問は常に在り続けたし、今回こういう活動を本格的にしていこうと決めたから、わざわざ「対話」なんて言葉として切り取ってアピールしているだけで、自分の人生にとってはごく当たり前のことなんです。

「対話」への想いがどれだけこの活動のキッカケになっているか

下記はzoomでセッションをする際、初めての方にちょっとした自己紹介をする時に使う資料です。

要するにほとんどは「コロナ禍の社会+Twitter内で観てきた世界に対する想い」が動機になっています。

2022年初夏にコーチング資格を取得したわけですが、正直、私の「対話促進活動」というのは、日々TwitterInstagramをメインにそれ以前からずっと続いていて、アート鑑賞という形以外でも、常にやっているわけですね。ですから、対話型アート鑑賞を体験くださった方々とも引き続き、SNS上で対話がそれぞれ続くことは珍しくありません。

 

ですから、対話型アート鑑賞の体験をされた方々からも、その後ご感想が度々届く中で、私のセッションを受けたキッカケで「日常の物の見方が変わった」と言われるのが本当に嬉しいんですね。例えば、気持ち悪いと思っていた虫(昆虫)への接し方、気持ちが変わった…とか、日々ストーリーズ(Instagram)やTwitterの文面からもコミュニケーションを学んでいる…とかそれはアートは関係ないんです。

そして私にメッセージをくださる文章など、そういったありとあらゆる自己表現、そして他者の発信の中の表現、伝え方…そういうものに対する意識が、かなり変わるようです。これ、1人や2人じゃなくて、複数からそういうお声をいただけるので、本当に嬉しいんです。私自身、現在はライターの仕事もしているのですが、そういったお声をくださる人達からのメッセージの文面も、セッションのビフォーアフターで変化があるのが判るんですよ。文章添削をする役割も何もないですが、そこも私には伝わるので、それをまた相手に伝えるんですね。

そしてそれを気付いてもらえたと相手は喜び、私も喜び、そして相手も実感が湧き、ますます前向きに…そしてもっと他者を理解しようとするし、自分も理解されようと、丁寧に質を向上しようという想いに自然になれる。

本当に素晴らしい好循環過ぎて、嬉しくなっちゃうんですよね。

改めて私の対話型アート鑑賞活動に対する姿勢

対話型アート鑑賞ブームに火が着いて来ているらしい昨今、アートを安易に使うなとか面白い楽しいだけで終わらせるな、ちゃんと原作をリスペクトしろ!的な真面目な声も沢山上がっているらしく、私もそこはちゃんと尊重しているつもりです。

私自身、英国大学でアートを学んできましたが、私の場合は実践の方で、学問としてのアート方面ではないので、正直私自身もアート作品の薀蓄を語るには勉強が必要な側です。

しかし、私の目的はアートの啓蒙とか推奨ではなく、まず「対話」なんですね。

まず対話。

認め合う、解り合うことの大切さ、その具体的事例。一般的に、そんなの無駄無駄、スルースルー…と避けて通られるようなことを、敢えてというか、自然にやってきた私だからこそ伝えられる、そういう「無駄」扱いされるあれこれの大切さ、とか、Twitter上での実例など、今後もバンバン出させていただきたいと思っています。対話のニュアンスは、私にとってはコミュニケーションです。対話を英語に訳すとdialogueなんですけどね。

因みに現在ライターをしていると書きましたが、私はもともと英語講師でもあるので、私の提供する対話型鑑賞にはさりげなく英語学習要素も盛り込んではいます。

dictionary.cambridge.org

とにかくアートよりも、まず「対話」。

でも利害関係や軋轢のないフラットでフェアな対話ができる材料として、もっとも適しているアートを、ありがたく使わせていただきますよ…というスタンスです。

 

その辺りのポリシーを、一度明確にしておきたいと思って、この記事を書きました。