🧠アートde対話

一生を通じて完成させる対話の自由研究。

#クラスメイト思想 について書いたTweet

「クラスメイト思想」や「クラスメイト対話」という造語

「クラスメイト思想」や「クラスメイト対話」という造語は、今の所、世界で私しか使っていないようです。

 

本当は「クラスメイト対話®」と表記したいところですが

真面目に活動していくに当たって、ノリでそんなことをしてしまうのは自粛します。

 

ところで、一体いつから「クラスメイト」という表現を使っているのか?Twitter内の一番古い記録しか遡れませんが、おそらくそれ以前からずっとある感覚だったと思います。

Twitter内では、コロナ禍が始まり活発に使い始めた2020年初め、まだTwitterSNS的認識で使っていなかった時代に、その頃Twitter上で知り合って、今でも仲良くさせてもらっているお友達への返信コメントで、初めてクラスメイトの感覚を言及しています。

とにかく教祖化したくはない、というのはずっと言って来ているようですね。

 

過去に私の運営していたブログの読者さんのことを、周囲がふざけて「信者」、そして私のことを「教祖」と呼んでいた流れからでしょうね。それは冗談レベルだと解っていたので、決して嫌悪感は抱いていなかったのですが、とにかくコロナ禍のTwitter上では冗談レベルではない「教祖&信者関係」がそこかしこに散見されたので、その流れで教祖化嫌悪感が生まれたようですね。

クラスメイト という概念に言及している自身のTweet一覧

twitter.com

これを2022年6月に「思想」を付けて命名したんでしたね。

でもそれが「クラスメイト対話」という名前の由来として重要なんです。

クラスメイト思想 に言及している自身のTweet一覧

twitter.com

#シリーズ学校風景設定

「クラスメイト」という表現に欠かせないのが、学校風景や友だちや先生、学生時代のあらゆる環境の登場人物で、私はTwitterの中で知り合ったいろいろな人たちのことを、学園ドラマみたいにキャラ設定して、そのイメージを遠慮なく伝えています。

大抵その時は、高校生時代設定になります。高校時代に恩師はいません💧その真逆というか、私を「腐ったみかん」と呼んだ担任はいました、笑。(この話はまたどこかで、笑)

 

でも、その教師にクラスが変わった後もイビられていた私を、優しく擁護してくれたその次の担任の先生は、恩師というほどまではないけど、でもやっぱりいわゆるいい先生だったなぁと思います。人間味があったというか…。私は怒られてばっかだったけど、そういう風に私がそのイビリ教師の仕打ちにあった所を、ちゃんと見ていてその後「気にするなよ」ってフォローしてくれたり、卒業時のサイン帳には、その先生が若かりし学生時代の本気の貴重な白黒写真の現物を、メッセージと共に貼ってくれたり。

 

私は中学でも高校でも、よく学校をサボっていましたが(不登校ではない)、学校嫌いになったことは一度もなかったですね。小中高と全部大事な思い出です。

 

学校と言えば集団生活の象徴みたいな所。あの場でのあれこれは、学生時代よりずっと自由になったはずの大人になっても、それでもやっぱり人間関係の基本というか…だから私の頭の中ではこんな風に、学校関係やクラスメイトがいろんな比喩に使われるんです。

 

こんな風に「クラスメイト思想」の由来を深く理解してくださる方もいて、本当に嬉しいんです。そして、この上も下も右も左もないクラスメイト感覚を、もっと自然と浸透させられたらいいなぁ~と密かに願っています。

 

決して量、ボリュームを目指している訳ではないです。でも本当の意味で、じっくりと広がるなら、それは本望✨といった感じです。みなの底上げになるように…