「クラスメイト思想」や「クラスメイト対話」という造語
「クラスメイト思想」や「クラスメイト対話」という造語は、今の所、世界で私しか使っていないようです。
本当は「クラスメイト対話®」と表記したいところですが
真面目に活動していくに当たって、ノリでそんなことをしてしまうのは自粛します。
ところで、一体いつから「クラスメイト」という表現を使っているのか?Twitter内の一番古い記録しか遡れませんが、おそらくそれ以前からずっとある感覚だったと思います。
Twitter内では、コロナ禍が始まり活発に使い始めた2020年初め、まだTwitterをSNS的認識で使っていなかった時代に、その頃Twitter上で知り合って、今でも仲良くさせてもらっているお友達への返信コメントで、初めてクラスメイトの感覚を言及しています。
くないけど、前述の通り色々出てくるなっと、笑。私は誰かの気づきのきっかけになれれば役割果たした感があるから、先にちょっと知ったからって教祖様みたいに上からとか知ったかになりたくないし、責任だって負いたくないし〜笑、みなのクラスメイトみたいな感じで居たいだけかな、うふふ♪こんな文通
— 🧠Brainmemox(キッカケ&ヒント) (@Brainmemox) 2020年2月28日
とにかく教祖化したくはない、というのはずっと言って来ているようですね。
過去に私の運営していたブログの読者さんのことを、周囲がふざけて「信者」、そして私のことを「教祖」と呼んでいた流れからでしょうね。それは冗談レベルだと解っていたので、決して嫌悪感は抱いていなかったのですが、とにかくコロナ禍のTwitter上では冗談レベルではない「教祖&信者関係」がそこかしこに散見されたので、その流れで教祖化嫌悪感が生まれたようですね。
クラスメイト という概念に言及している自身のTweet一覧
これを2022年6月に「思想」を付けて命名したんでしたね。
でもそれが「クラスメイト対話」という名前の由来として重要なんです。
クラスメイト思想 に言及している自身のTweet一覧
#シリーズ学校風景設定
「クラスメイト」という表現に欠かせないのが、学校風景や友だちや先生、学生時代のあらゆる環境の登場人物で、私はTwitterの中で知り合ったいろいろな人たちのことを、学園ドラマみたいにキャラ設定して、そのイメージを遠慮なく伝えています。
大抵その時は、高校生時代設定になります。高校時代に恩師はいません💧その真逆というか、私を「腐ったみかん」と呼んだ担任はいました、笑。(この話はまたどこかで、笑)
でも、その教師にクラスが変わった後もイビられていた私を、優しく擁護してくれたその次の担任の先生は、恩師というほどまではないけど、でもやっぱりいわゆるいい先生だったなぁと思います。人間味があったというか…。私は怒られてばっかだったけど、そういう風に私がそのイビリ教師の仕打ちにあった所を、ちゃんと見ていてその後「気にするなよ」ってフォローしてくれたり、卒業時のサイン帳には、その先生が若かりし学生時代の本気の貴重な白黒写真の現物を、メッセージと共に貼ってくれたり。
私は中学でも高校でも、よく学校をサボっていましたが(不登校ではない)、学校嫌いになったことは一度もなかったですね。小中高と全部大事な思い出です。
学校と言えば集団生活の象徴みたいな所。あの場でのあれこれは、学生時代よりずっと自由になったはずの大人になっても、それでもやっぱり人間関係の基本というか…だから私の頭の中ではこんな風に、学校関係やクラスメイトがいろんな比喩に使われるんです。
こんな風に「クラスメイト思想」の由来を深く理解してくださる方もいて、本当に嬉しいんです。そして、この上も下も右も左もないクラスメイト感覚を、もっと自然と浸透させられたらいいなぁ~と密かに願っています。
決して量、ボリュームを目指している訳ではないです。でも本当の意味で、じっくりと広がるなら、それは本望✨といった感じです。みなの底上げになるように…
嬉しいご感想をいただけました✨
— クラスメイト対話 by @Brainmemox 🧠対話型アート鑑賞✨ (@classmate_taiwa) 2023年1月4日
匿名で紹介してもいいですかと伺ったら
匿名でなくてOKという事だったので
紹介します✨
他者に深く理解してもらえた時、
私たちって嬉しい生き物ですよね。
そういうことを個人同士が
丁寧にやっていければ良いのですが
社会の何かがそれを阻む現実。
速さや(続 https://t.co/TucOTyDFG9 pic.twitter.com/RFdvFVYr19