🧠アートde対話

一生を通じて完成させる対話の自由研究。

ネガティヴな印象にポジティヴ要素が混ざって中和される歓び

クラスメイト対話/思想は、もともとTwitterをキッカケに生まれた活動で、その一環として対話型アート鑑賞を採用させてもらっているのですが、Twitterというインターネット上で匿名で利用できるSNSの性質上、「対面」という形に抵抗がある方がまだまだいらっしゃいます。

「匿名」「SNSというと何かと「誹謗中傷」や「暴言」などのネガティヴな印象が真っ先に浮かぶ人が多いかもしれません。しかし、私はいつもそのステレオタイプや偏見に抗ってきました。匿名で利用できるSNSのどこかで起きているさまざまな悪いこと、いやなことの数々や問題ありな人達の存在は、それはそれで事実ですが、それが全てではありません。私が常に訴えたいのはそこです。「全てではない、100%ではない」ということ。

Always Look on the Bright Side of Life (いつも人生の明るい側を見て)というフレーズがありますが、「いつも」とまでは言いませんが、人も物事も全てのものは多面的で、良いことも悪いこともあるので、悪い所ばかりにフォーカスせず、良い所もあることを忘れないようにしようね? というのが私の想いです。


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Twitterは何かと悪いイメージを抱かれがち

Twitterは何かと悪いイメージを抱かれがちで、何かしら嫌な体験をしてウンザリしたという人達によってそれは語られますし、それもれっきとした真実として尊重しますが、そればかりではないんですね。誰かが何かを嫌っているその感情を、無理矢理こじ開けるようにして好きにさせようとするつもりなんて毛頭ないのですが、そのほとんどはやはり「偏見」とか部分的判断で結論付けられてしまっている印象が強いので、もったいないなと思うことが、世の中には多々あります。そういったものを、うまいこともう少しギスギストゲトゲせず、おだやかに中和できないかなぁ~というのが私の願いです。

対話型アート鑑賞はそういった偏見をほどくのに最適なのでは?

Twitterに対して偏見を抱いている人達が、Twitterベースで活動をしている私に対し、どこまで偏見なく関心を抱いてくれるか、そこも関門ですし…前述の通り、何かを嫌う人達のその感情を無理矢理ねじ伏せようという気持ちもありません。いかに自然な形で、自分の気持ちから自発的に、その凝り固まったわだかまりみたいな嫌悪感情を溶かせられるか…そこが私の狙いなので、どこにも何一つ、無理矢理要素はないのですが、やっぱり鍵となるのは「好奇心」であったり、「確かめてみよう」「試してみよう」という気持ちがあるかないかなんですよねぇ。

それらの気持ちがある時点で、もう偏見は半分取れかかっているようなものですし、元々偏見がないからそう思える人もいるし、偏見をなくしたいからそう思える人もいるし…偏見で雁字搦めになってしまった人は、そこまで到達しないんですよね。

食わず嫌いといいますか。

ゆっくり少数ではあるけど実績は生まれています

対話型鑑賞を通して、そして私が日々発信している内容から…そういった各種ネガティヴな印象を覆されたとか、ネガティヴな偏見を抱いていた思考を改めてくださった方とか、まだまだ少数ですけどいらっしゃいます。より良い世の中のためには、そういった偏見がなくならないとも、少なくとも薄れ、弱まり、なるべく少なくなっていけばいいはず…だと私は信じています。

欲張らないし、焦らないし、強要もしない。教え込まれるものでもない。

自分から「そうか」って腑に落ちる形で気が付けるような、自然な促しを…私自身もまだまだ人生の道途中の学びの身ですが、謙虚に伝えていけたらな~と思っています。

一人ひとりが柔軟で自立した存在で在られるように。